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ドラッグ オン ドラグーン3 討鬼伝

女「ちょwww私の脊髄とるのwwwwwやめwwww痛いwwww」


  1 ◆k6VgDYkyGI[saga]:2012/08/19(日) 02:08:51.14 ID:+rsVUWK9o
【ご注意】

このSSは残酷な表現、不快な描写を多く含んでいます。
また、ほぼ地の文で構成されており、非常に回りくどい文章を多用しています。

元スレ:ttp://ex14.vip2ch.com/news4ssnip/kako/1345/13453/1345309730.html

2『コペイン』 ◆k6VgDYkyGI2012/08/19(日) 02:10:05.89 ID:+rsVUWK9o

 -Ⅰ-



ようビッチ、快適かい? そうは思えないけどね。手首と踝《くるぶし》が鎖で繋がれてる。

猿轡《さるぐつわ》も。恐らく目隠しで目も見えないだろう。混乱してて、

怖がってるのが分かるよ。こんな状況じゃあ、それが全く普通だ。(中略)今、君は

明らかに自分の君の意に反してここにいる。徹底的な絶望に置かれ、何処にいるのかも

分からず、自分の身に何が起こるのかも分からない。君は恐怖のどん底にあるか、

怒りの頂点にある。でも、ぼくは確信してるよ、君は手首と踝を自由にしようと足掻いたけど、

それが不可能なことにもう気付いている、って。



――デヴィッド・パーカー・レイ 自身の犯罪記録テープより





血飛沫の俟った紅い空から、音も無く深緋《こひき》の雫が滴り落ちる。



ぼくの手の甲を汚し、掴むガードレールを汚し、その支柱を伝って道路に流れ出で、

尚も降り注ぐ血の雨をぴしゃぴしゃと呑み込みながら汚水溝へと吸いこまれてゆく。



額にべったりと張り付き視界を奪う髪の束を払うと、すぐ目の前に黒い塊が蜃気楼の如く蠢いている。

目を凝らしよく見てみようとするが、さらに勢いを増した流血が瞳を塞ぐので、

ぼくは何度も目を拭い擦るのだが、その度に夕雨《ぜきう》の冷たい指が目蓋に触れ

閉ざそうとし、いつまで経っても頬に荒い息を吐きかける人の影を確かめることが出来ない。

3『コペイン』 ◆k6VgDYkyGI2012/08/19(日) 02:10:49.46 ID:+rsVUWK9o

ぼくは全身を叩く空の体液に打ち震えながらしきりに顔を洗うようにしていると、

不意に左手を掴まれる。その手は温かくむしろ熱くさえある。ぼくの手は始めしっかりと

両の手で拳を作るよう握り締められ、それから親指から小指へと一本一本ゆっくりと

引き剥がされて大きく開かれたかと思うと、最後に掌《てのひら》の真ん中にぬるぬるした

硬い物を置かれる。



ぼくは右目を薄く開け影をほんの一瞬だけ捉える。ぼくと同じくらいの身長をした、

普通の黒影がゆらゆらと立っているのが見えた時、空の最期の一滴がぼくの右目に忍び込み、

ぼくは再び暗黒を観る。



彼/彼女、或いは孰《いず》れでもないそれは、ぼくの内部に形の無い物を突き入れると、

ぼくからそっと離れてゆく。静かに、ゆっくりと、それはひとつの役目を終えたように後ろへ後ろへと

下がってゆき、やがていつの間にか何処へともなく消える。



ぼくは暫くその場に立ったままでいる。

4 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします(九州)[sage]:2012/08/19(日) 02:10:53.12 ID:000G1kEAO

シンさんかよ

5 :『コペイン』 ◆k6VgDYkyGI2012/08/19(日) 02:11:48.08 ID:+rsVUWK9o

ようやく袖で目蓋を擦りぼくはぼくの世界を取り戻すと、生き長らえるための液体を

全て流し尽くした逢魔ヶ時は既に絶命しており、紺色の空は腐って黒ずみだしている。

ぼくは自らの体臭と世界の天蓋たる弩円の腐臭を掻き混ぜて濁らせた臭いを漂わせながら、

身体を引き摺るように家路に就くその道すがらで、掌の異物を確認する。



粘液のまとわりついたヒトの脊椎骨《せきついこつ》の軸椎《じくつい》がある。



ぼくは軸椎をしっかりとしかし優しく握り締め、ぴしゃり、ぴしゃりと歩を鳴らしながら、

再び街灯がぽつりぽつり点在する薄暗闇の中に入ってゆく。



何処かで、子どもの笑い声が聞こえる。

快活で陽気な未来が横隔膜を振るわせて大地に裂け目を作り、その断絶が絶望達を隔離する。



私も隔離されたわ。でもそうすることでやっと分かったの。

もちろん知りたくなんてなかったけどね。呪われるが良いわ、人の世が生んだ水蛭子共。

軸椎が言う。

6『コペイン』 ◆k6VgDYkyGI2012/08/19(日) 02:12:18.13 ID:+rsVUWK9o

あれの意識、言語を介さず伝達された思考がぼくの頭を過《よ》ぎる。



“相手と心と自分の心を繋ぐ方法は、手ずから苦痛を共有することでしかあり得ない。

痛みを食《は》んだことの無い者と痛みの味を分かり合うことは出来ない。



孤独の苦さで味蕾《みらい》を麻痺させたことの無い者は、

依る藁《わら》すら掴めない絶望を決して理解しない。



拷問という行為は、本来の意味に於いて人々の心を重ねる『問』であり、

まさにそれが故に存在する。”



馬鹿々々しい。

軸椎が言う。

7 :『コペイン』 ◆k6VgDYkyGI2012/08/19(日) 02:12:50.34 ID:+rsVUWK9o

“人の言葉は主観的な感覚の、その上辺をそっと撫でるだけの不完全な道具でしか無い。

ヒトは言葉を絶対視し過ぎた。そこに神が在ると思い込んでいたからだ。しかし所詮、

恣意的な記号《シニフィアン》 の寄せ集めでは、真の意味で苦痛は共有され得ない。



暴力が法という力に駆逐されかけている現代、 最早、苦衷《くちゅう》は

多くの人間にとって個人だけの所有物になった。あらゆる言語《メディア》――テレビ、

新聞、ウェブ――がいくら発達しようと、それは痛覚に何の刺激も与えはしない……。”



今、君の痛みを人は理解しはしないし、出来ない。孤独な苦痛の中で、

一体君は何を見る……?

そして、その苦しみの物語は、それが存在したことすら知られず終わるのだ。

それが私/俺/僕/我々がいる意味だ。『痛み』。この失われた本質を取り戻すため、

人の本能は

私/俺/僕/我々を求めている――”



馬鹿々々しいわ。

軸椎がけらけら笑いながら言う。

8 :『コペイン』 ◆k6VgDYkyGI2012/08/19(日) 02:13:23.55 ID:+rsVUWK9o

 -Ⅱ-





風呂を出ると、明りを消された食卓の上にぼくが惣菜店で買ってきた夕食が載っている。

大きな芝海老がたっぷり入ったエビチリが自分で炊いた白いご飯と一緒に置かれている。

ぼくは椅子を引いて座ると、腰と尻を僅かに動かして身体の位置を調整し、

箸を取って両手を合わせ軽くお辞儀をする。



まずエビチリの皿を箸を持ったまま両手で勢いよく持ち上げ血のように赤い汁をすする。

ほんの刹那間があり、舌先から奧へと刺激が走り、じわりと旨味と塩味が味蕾へと染み込んでゆく。

びしゃびしゃと液体を口腔へ流している途中で片手で皿を支え、

箸で芝海老と長葱を掻き込むやいなや、ぼくの食欲は白米へと移る。



エビチリの皿を叩き割るように置くと、茶碗を机からむしり取り中に詰まっている火傷する程に熱い

白灰を今度はぼくの体内へぎゅうぎゅうに詰め入れる。ぼくはその作業を延々と同じように繰り返し、

いつしか機械的にくちゃりくちゃりと噛んでいた何かが口の中から消えたため

ダイニングテーブルを見ると、今晩の食事が終わったことに気付く。

9 :『コペイン』 ◆k6VgDYkyGI2012/08/19(日) 02:14:24.55 ID:+rsVUWK9o

ぼくは大きな皿を一番下に、それからかちゃり、かちゃり順々に皿を積み上げ流しに持ってゆくと、

シンクの底に置いて水道の蛇口を捻る。使い古され黒ずんでいる筈だがそれ以上に暗い台所のせいで

輪郭しか見えないスポンジに液体洗剤をたっぷりとかけ、水で充分に泡立てる。

流水でこびり付いた残り滓を軽く取り除き、スポンジで撫で回すと、

再び流水にかけて泡を奇麗に排水溝へと捨てて、何度も水を切ってから、

シンクの横に無造作に置かれた金属製の水切りバスケットに置く。



全ての食器を片付けると、ぼくは照明の消えた居間に向かう。明滅して部屋を照らしたり

暗くしたりしているテレビを、ソファに寝転んだままぼくの母親がぼんやりと眺めている。

ぼくは母親の手の中に置かれていたリモコンを取ると、チャンネルを回してニュース番組が

映った所でリモコンのボタンを押すのを止める。



地球を半周した場所で経済危機により餓死者が出ています。



そのままぼくは今日の出来事をじっと立ったまま暫く見続ける。


10 :『コペイン』 ◆k6VgDYkyGI2012/08/19(日) 02:15:19.43 ID:+rsVUWK9o

作新学院野球部員を強盗容疑で逮捕、新潟県刑事課長が摘発件数を水増し、

オスプレイ墜落調査について米が「機体に問題は無かった」との最終報告、

お笑いコンビ・ピースの綾部祐二が熱愛騒動について謝罪。



リモコンをソファに放り投げ居間から出ようとした時ニュースが切り替わり、

二十三区内で起きている連続殺人事件で本日四人目の犠牲者が出ました、

とニュースキャスターが餌を求める金魚のように水面で口をぱくぱくさせながら淡々と

ニュースを読み上げ始めたので、ぼくは手と足を止める。



遺体は都内のコンビニエンスストアのゴミ箱から見つかりました。

損傷が激しく身元は特定できない状態ですが、一連の連続殺人との繋がりがある可能性が高いと見て

当局は調べを進めています。



犯人は過去に犯罪歴を持っている可能性が高いですね。社会的に孤立しているひきこもりである

可能性が高いと思います。このような事件を起こす人間は人格障碍を負っているケースが多く、

少年期に親から性的な虐待を受けていることもあります。歪んだ人格が形成される訳です。



コメンテーターが真顔で無知を披露し始めぼくがテレビのリモコンを手から滑り落とし、

床にぶつかったまさにその瞬間、ぼくの身体は真横に吹き飛び、

ソファの背がぼくの身体を抱き留める。左手だけが自動的に動いて震えながら頭に触れる。

そこは平時よりもぬるりと滑《ぬめ》っている。霞む視界が何かぼくの身体のような物を

網膜へと投射している。

11 :『コペイン』 ◆k6VgDYkyGI[saga]:2012/08/19(日) 02:16:14.67 ID:+rsVUWK9o

ぼくはようやく、どけと言ったのが聞こえなかったのか、

というぼくの父親の声をノイズ越し理解する。

父親は手に酒瓶を持っている。どけと言ったのが聞こえなかったのか。

丸く蹲《うずくま》る格好で起き上がろうとするぼくの身体を彼の足が踏みつける。



その中年の男はぼくに、世界がこうであることに対する謝罪を要求し、ぼくがそれに応えると、

豚が言葉を喋ることが気にくわないと今度は思いきりぼくの下腹を蹴り上げ、

ぼくの口から芝海老とチリソースと長葱とニンニクと白米と他に幾つかの調味料、

それから血と胃液が濁流となってどばどばと垂れて落ちる。

ぼくの口が酸素を求めて金魚のようにぱくぱく動く。



せっかくの夕食が台無しだと言い蹴り、お前なんて生まれて来なければ良かったと言い殴る。

俺は二人やってるんだ。お前なんてすぐ殺してやる。



彼は突然、お前は何をしているんだとぼくの母親に気を移すが、彼女は死後硬直したまま

テレビをじっと眺めては微かに何事か呟くだけなので、怒気を空振りさせた彼は

床を踏み抜きながら台所に猛進、行く手を阻む物を全て投げ倒し、息を切らせて冷蔵庫の扉を開ける。



そして、小さな缶ビールを冷蔵庫から掴み取り、そのプルタブを爪でいつまでもいつまでも

カリカリと削っていたかと思うと、それを力一杯壁に向かって投げつける。



破裂音を聞いた中年女性はそれでもテレビから目を離さず、しかしびっくりしたように

慌ててテレビのリモコンを手探りで探すものの、見つからないことが分かると

すんなり諦め番組を見続ける。

12 :『コペイン』 ◆k6VgDYkyGI[saga]:2012/08/19(日) 02:17:41.61 ID:+rsVUWK9o

都立『明るい動物園』の象の赤ちゃんにスポットを当ててお送りします。

これまで繁殖が難しいとされてきた象ですが、薬物利用により安定した繁殖及び管理が見込まれ、

絶滅危惧IB類にカテゴライズされたゾウ目に明るい見解が広まっています。

13 :『コペイン』 ◆k6VgDYkyGI[saga]:2012/08/19(日) 02:18:54.21 ID:+rsVUWK9o

ぼくは冷蔵庫に頭を突っ込むぼくの父親に悟られないように、素人が操るパペットになって

かくかくとした動きをしながら居間から出て行くと、急勾配の階段の踏み台に一つひとつ

身体を預けながら、さながら蝸牛《かたつむり》か、それとも激戦地で劣化ウラン弾を

匍匐前進でかいくぐる歩兵か何かのようにゆっくりと二階へ上ってゆく。



ぼくが床を這った後に、吐瀉物と胃酸と血汁が混じった蘇芳《すおう》色の液体がべったりと

付着していて、既に弾丸を頭部に受けた歩兵であるぼくはそれを蛞蝓《なめくじ》が

這ったのかと見間違える。



半分意識の無いぼくはのろのろと地に全身を張り付けて進み、どうやらぼくの部屋らしい部屋の扉の

ノブに片手を伸ばし取っ手を回すと、吊す糸が切れた関節群はぼくの部屋に転がり込んでゆく。



ぼくの意識の弦は遂にぷつりと弾け脳髄をぴしゃりと叩く。

14 :『コペイン』 ◆k6VgDYkyGI[saga]:2012/08/19(日) 02:20:11.70 ID:+rsVUWK9o

ぼくは自分が気絶していたことに気付く。しかし精神の底に落ちる一瞬に覚えるあの闇よりも

暗いどす黒い空間が、それでもまだぼくを包んでいる。知らない内に部屋の扉は硬く閉ざされ

一筋の光さえ漏らしていない。



ぼくはぎこちなく起き上がり、立ち上がってふらふらと学習机まで移動すると、

既に引いてあった椅子にどっかりと重い身体《モノ》を置く。ぼくは胸ポケットから軸椎を

取り出し机の上にことりと置くと、そのまま椅子の背にもたれて口を弛緩させ半開きにし、

ぱっくり割れた頭皮から流れる物を流れるままにして放心する。



馴れって怖いわよね。私は決して馴れなかったけど、あなたのように馴《成》れなくて良かったわ。

軸椎が言う。

15 :『コペイン』 ◆k6VgDYkyGI[saga]:2012/08/19(日) 02:21:05.02 ID:+rsVUWK9o

ぼくはコマ送り状の動作で屈み床に血をじょろじょろ零しつつPCの電源を指で押す。

HDDが回転しぶつぶつと呟いたかと思うとディスプレイにOSのロゴが現れデスクトップ画面が

立ち上がり、黒い気体が充満する部屋に淡い光をもたらす。



左手でトラックボールを転がしてディスプレイの矢印をブラウザのショートカットアイコン上で

ダブルクリックし、ほんの少しの間を置いてディスプレイを覆う窓が展開しきったのを見届けてから、ぼくはウェブニュースの社会欄を開く。



何処のマスメディアも件《くだん》の事件を大々的に取り扱っている。



『都内連続殺人 犠牲者四人に』

『二十三区内無差別殺人 新たに犠牲者』

『都内連続殺人事件 再びゴミ箱から遺体』

『今度は江東区で発生 東京都猟奇殺人』

『トウキョウ・リッパー事件 「現場で小太りの男を見た」』



ぼくは目を皿にして関連記事一五六件全ての記事に目を通し、加えてアンダーグラウンドの

掲示板も回覧するが、犯行が拷殺であった事実は毫《ごう》も書かれていないばかりか、

暴力が失禁や脱糞を彼女に強いたことも、二六時間三一分〇五秒という生存時間すら

詳《つまび》らかにされていないことを知る。

事件は全て闇の中で行なわれ全て闇の中で調べられている。

16 :『コペイン』 ◆k6VgDYkyGI[saga]:2012/08/19(日) 02:21:35.21 ID:+rsVUWK9o

今度は誰の足元に、その闇から流れて来た真っ赤な血が辿りつくのか、

一部の仮想空間の住民の関心はそこへ流れ、また別の人間は犯人像をプロファイルし、

さらに他の名無しは殺人犯を崇めたり或いは貶めたりし、

ついで意味不明な言葉を綴る者がおり、ほんの数人が犯人らしき男を目撃したと言って、

ひとり自分が犯人だと主張する羊がいる。



それらニュースやニュースに関係すると思われる情報を網羅し終えると、

ぼくは静かに椅子から立ち上がりまだ意識の管轄外にある足をどうにか動かして

部屋を横切り本棚に向かい、その上に無造作に置かれた家庭科の裁縫セットを開けて、

中から裁縫針と黒い糸を取り出す。



ぼくは再び静かに、時折フリーズしつつ椅子に戻り腰を下ろすと、

机の三番目の抽斗《ひきだし》から百円ライターを取り出して裁縫針を焼いて滅菌し

針穴に糸を通して、手で確認しながら頭の破れた箇所を覚束ない手使いでじぐざぐに縫う。



そして、ようやく自分を縫い終えると玉止めをして余計な糸を鋏で切り、

比較的奇麗なタオルを傷口に強く当て続ける。すると、ぼくの耳の裏から顎の端を通って

パジャマをじわりじわりずっと黒く濁していた水漏れが止む。

17 :『コペイン』 ◆k6VgDYkyGI[saga]:2012/08/19(日) 02:22:06.50 ID:+rsVUWK9o

ぼくの頭部が机の上にどさっと無造作に置かれる。横を見ると軸椎の細かな隆起が目に入る。

まず最初に切断された右足親指の神経から、結果的にショック症状を引き起こし死に至った

胸部切開後穴を空けられた片肺の神経、それら大小あらゆる神経繊維を脳幹へ繋留する頸髄を保護する

大匙《さじ》のスプーンに収まるくらいの小さな硬い骨。



ぼくは既に滑りの乾いたそれを小指で転がし愛でながら黙って見つめる。



そうね、最初にお腹を思いっ切り蹴り上げられた時の痛みと言ったらなかったわ。

私は重い方だから痛みには馴れてると思ったけど、全然痛みの方向が違う。

軸椎が記憶を辿りながら言う。



最初は、蹴られた部分に一気に感覚が集中するけど、

ぼくは言う。



そこから、あはははは、爆発、

軸椎。



異様に不快で醜悪な違和感が、

ぼく。

18 :『コペイン』 ◆k6VgDYkyGI[saga]:2012/08/19(日) 02:22:59.98 ID:+rsVUWK9o

上体にぶちまけられる、あの感覚、そして、



安寧な日常に叩き割られて極大の混乱が押し寄せたら、



鼻と口から食べ物を――出し切ったら胃酸を――出すのよね、それに、



涎《よだれ》もだだ漏れになって、



それに気付く頃には力が奪われているから、



足から力がすっと抜けることに気付かないわ、



そう、だから、どうして自分が倒れてゆくのかも分からない、



床に頭がぶつかって、



少しだけ跳ねるのは、空気の抜けたボールみたい、



頭蓋の中でサイレンがノイズのように走っていて、



まともな思考ができない、それはもちろんだけど、



ただ、「ここは危険だ」と、



単調な信号を出すだけで、



そう、本当に使えない、



それから、



次に待つのは、



さらなる被害で、



いつの間にか、



本当に知らない内に、



自分が被害者になっていると、



“あちらの世界”に来てしまったのだと、



そんなこと、元から知りたくなんてなかったけどね。呪われるが良いわ、

人の世が生んだ水蛭子共。

軸椎がけらけら笑いながら言う。

19 :『コペイン』 ◆k6VgDYkyGI[saga]:2012/08/19(日) 02:23:30.46 ID:+rsVUWK9o

 -Ⅲ-





靄《もや》のかかった群青《ぐんじょう》色のカーテンが明るい光に照らされている。



外界からぼくのいるこの小さな箱庭を防護するために窓に設けられた遮蔽物を、

千枚通しが鳩尾に侵入するよりもずっと簡単に朝の日差しはするっと貫いて

床に明《朱》るい日《緋》溜まりを作っている。それでも部屋はまだ仄かに暗く、

部屋に入ってくる音も仄かなまま。



ぼくは机からゆっくりと身体を引き剥がす。頭の傷は僅かに化膿しており、

机の上の軸椎は鎮座したままじっと動かない。



ぼくは椅子の肘掛けに両手を置くと全体重をそこに預けて、身体と椅子とをきしませ立ち上がり、

足元を確かめながらそろそろと箪笥の前まで行くとそこで棒立ちのまま顎を上げる。



上部に掛けられた壁時計の短針が「10」を、長針が「12」を刮《こそ》ぎ取ろうとしている。



ぼくは上着を脱ぎ紫色の斑点が無数についた皮膚を一瞥するとズボンとパンツを一緒にずり下げ、

全裸になる。女性かと見間違える程きゃしゃな腕、さらに視線を下に遣ると、真っ平らな胸部、

肋《あばら》の浮き出た胴体、小さく萎んだペニス、

その両側に申し訳程度に付いている細い足が見える。

鞣《なめ》した皮を人骨に張り付けた、人の形を模しただけの何か。

20 :『コペイン』 ◆k6VgDYkyGI[saga]:2012/08/19(日) 02:24:06.34 ID:+rsVUWK9o

ぼくは一番下の抽斗から黒一色のトランクスと濃い灰色の靴下を出す。



右足左足の順番で靴下を穿いた後にパンツに足を突っ込んで臍《へそ》の下まで引き上げる。

箪笥のすぐ横にある鉄製の洋服ラックに吊されたズボンとYシャツ、ブレザーをハンガーごと

床にぶちまけると、ぼくは身体を捩《よじ》りながら衣服を着るという連続した作業を幾度も

飽きる程繰り返した後で、ブレザーのポケットに仕舞われた藍色の、

斜めに濃淡あるラインが何本も入ったネクタイを首に括《くく》る。



箪笥の上にある鏡に首元だけを映して、ネクタイの外側の長さと内側の長さがほぼ同じになるまで

それを着けたり外したりし、やっと上手くいく頃には既に時計は十時半を過ぎている。



学習机上部の本棚に置かれた教科書を学校指定の青いショルダーバッグに詰めるだけ詰め込み

鈍器を自作する。いつでも振り下ろせるよう右手でしっかり掴んでドアを開け、

ぼくは廊下に体を晒して澱んだ空気の中で昨日零した体液のスープの饐《す》えた異臭を嗅ぎながら

階段に迫ってゆく。



音はしない。



下を覗いても人の気配は無い。



ぼくはぎいぎいと不快な音を出して踏まれることに敵意を表す階段を一歩、一歩、手すりを左手に

ショルダーバッグを右手に――いつでも振り下ろせるように――爪が皮膚に食い込む程握り締め、

階下へ移動してゆく。

21 :『コペイン』 ◆k6VgDYkyGI[saga]:2012/08/19(日) 02:24:39.16 ID:+rsVUWK9o

居間からは光が漏れ、点けっぱなしになっているテレビの派手な色相が陽光と暗黒の間で混じりあい

狂乱している。足裏で廊下をさすりそっと居間に近づき、その木製の軽いノブをかちゃりと回す。

ドアがきいと呻《うめ》いてゆっくり開くと、ぼくはすぐに台所に目を遣る。



誰もいない。

今度は居間の方を見る。



母親が昨日と全く同じ姿勢でテレビの明滅に沿って閉じた目蓋をぴくぴく動かしているすぐその横に、

多量の錠剤と安い缶ビールの空き缶が数本床に投げ捨てられている。



ぼくは屈んでその場にショルダーバッグを置くと、台所へ赴いてシンクの下の収納から

一番細く長い包丁を取り出し、今度は振り向いて冷蔵庫の上に所在なく載せられている

白い電子レンジの上にあるキッチンペーパーをあるだけ外装から取り出す。



ぼくは昨晩の胃の内容物を踏まないよう気を付けながらソファで惰眠を貪る母親の傍らに立ち、

彼女の胴体にキッチンペーパーを一枚一枚被せてゆく。幾重にも積み上げられる紙の蒲団《ふとん》。

そしてぼくは包丁を取り出し、骨に邪魔されないよう刃の向きを縦にしてキッチンペーパーが

剥がれないよう軽く押さえながら、彼女の則腹部、上腹部、季肋部、心窩部、前胸部、下腹部

それぞれに力一杯それを深く深く突き刺しさらに抜いては突き入れ抜いては突き入れる。

そうこうしている内に、彼女に掛けられた紙蒲団はトマトジュースを零されたようになる。



ぼくは後ろのポケットに入れっぱなしにしてあるハンカチを出して第六胸骨と第七胸骨との間に生えた

包丁の柄を奇麗に拭く。ハンカチを小さく折りたたんで母親の顔を除いてみるが、

彼女がテレビを凝視しているので、ぼくはソファからそっと身体を離して居間から出ようする。

すると、居間と廊下との境界を跨《また》いだ所で彼女が口を開く。



怪我には充分気を付けて学校に行くのよ。



ぼくは母親に注意する旨の返答を告げると玄関に行き、くしゃくしゃになった革靴を

突っ掛けながら履いて、隔離用に作られた鉄扉をぎいぎいと擦らせながら体重をかけて押す。

やっと少しだけ開いたドアの隙間から身を滑らせて外に抜け出し、広く大きな世界に出る。

若干重い熱を含んだ爽やかな空気、天上を埋め尽くす澄んだ青空にふわふわした真っ白な雲が

のんびり漂っている。



ぼくは大きく伸びをし、猛スピードで走り去る車達にぼんやり目を向けながら登校する。

たった数メートル移動しただけで轢殺され散り散りの肉塊と化す場所を歩きながら、

ぼくはふと、母親と会話したのが数ヶ月ぶりであることに気付く。

22 :『コペイン』 ◆k6VgDYkyGI[saga]:2012/08/19(日) 02:25:10.16 ID:+rsVUWK9o

 -Ⅳ-





ぼくがクリーム色の引き戸をがらっと開けると、教師と生徒達が一斉に後ろを向きこちらに

両眼を向けた刹那にもう彼らの視線は何事も無かったように元の場所に戻っている。



ぼくは教室の入り口に棒立ちになり、誰もいないのと変わらない空間を見回す。



教室に入ってすぐ左に所々が赤錆びた灰色の掃除用具入れがあり、

続いて私物を掛けておく屠殺用のフックが吊しているのは、アルファベット塗れのトートバッグ、

綻《ほころ》びのある青黒いニット帽、

プラスチック製の洒落た巾着袋、

使い込まれしわくちゃになった緑色のジャンパー、

小さな水玉が散点する骨の折れたビニール傘、

羞恥に欠けた剥き出しの生理用ナプキン袋、

抽象的な白熊の人形、

泥で汚れている中身の入ったコンビニのビニール袋……。

一番端にある光沢の無い鼠色の鉤《かぎ》だけが、次に吊される何かをじっと待っている。



そのまま奧まで突き進むと、白いフレームに囲まれた引き違い窓が円筒形に縛られた

厚く長い大きな砂色のカーテンに挟まれていて、そのセットが四つ、

教室の前部まで填《は》め込まれている。

それらは教室という強制《矯正》収容所の構成成分でありながら生徒自体には寛容であり、

西瓜割り用に出口を常に開放している。



窓が部屋の隅で途切れると、ゆるやかな凹型をした大きめの黒板の前で職業教師が苛立っている。

そんな所に突っ立ってないで早く座れ。

23 :『コペイン』 ◆k6VgDYkyGI[saga]:2012/08/19(日) 02:26:04.50 ID:+rsVUWK9o

ぼくは一番壁側の前から数えて五番中四番目の席まで行き、椅子の背もたれに手を掛け縦横に走る

フローリングを椅子の脚で掻くように後ろに向かって引いて、バッグを両腕で抱えながら席に入る。



揺籃《ようらん》から英語の教科書とノートを取り出して机の上に置くと、

残りの卵を一冊一冊ぽっかり口を空けた机の中に喰わせてゆく。

最後に筆記用具を呑み込んだ虚空が大きく下品なゲップした所で、

ぼくは白いYシャツの袖に付着した錆色の染みを見つける。



"I always had the desire to inflict pain on others and to have others inflict

pain on me. I always seemed to enjoy everything that hurt. The desire to inflict

pain, that is all that is uppermost."



ぼくの手が機械的に転写の仕事を始める。教壇の上で教師が右に行ったり左に行ったりしながら

黒板を白く塗る度にぼくのノートが黒く汚れてゆく。



この単語の意味を言ってみろ。



教師がぼくに答えを強いたので、ぼくは何事か言う。すると、教師は深く溜息を吐《つ》き、

上段から胸を反り返らせて、今度はぼくの後ろの席の名無しに同じ質問を投げつける。



はい、「弑《しい》する」です。



違う、お前らは何を勉強しているんだ。これは「殺す」という意味だ。

24 :『コペイン』 ◆k6VgDYkyGI[saga]:2012/08/19(日) 02:26:33.46 ID:+rsVUWK9o

けたたましく喚《わめ》く四〇代の中肉中背のコメディアンが描く不気味な線形の記号を正確に

模写しつつ、ぼくは目立たないように教室の一点に視線を運ぶ。



縦三列横三列目、三十五席ある机群のほぼ中心にある机の上に、

くすんだ白藍《しらあい》の空《から》の花瓶がぽつんと置かれている。



かつてそこに座っていた、美女とも醜女《しゅうじょ》ともつかない、見た瞬間に忘れ去られてしまう

容貌をしている生徒、両手首に無数のリスカット痕が赤い細糸でじぐざぐに縫い込まれたように皮膚を

這っている――実際に一部の傷は深く抉《えぐ》れ縫合糸で縫われている――ひとりの少女の姿を、

ぼくは思い出す。



いつも独りだがそれは決して孤高にあるのではなくただ人との付き合い方を知らないだけという

技術的な問題を抱えた寡黙な人間。火に掛けられ血液が煮えたぎり、その蒸気の圧力で身体が

破裂しそうな時、そのガスを逃がすために自分自身に穴を空ける術しか知らない人間。

世界中の人間全てが自分を人間未満の異形だと糾弾していると本気で信じている人間。

リーダーに通せばそういう人間だとレジの画面が表示する、

両腕に黒ずんだ紅いバーコードを付けた少女。



死因は頸動脈及び椎骨動脈閉塞による低酸素症。父親が持っていた革製のベルト、

コンビニで売っているような安手のハンドタオル、そしてドアノブを使用した非定型縊死。自殺。

25 :『コペイン』 ◆k6VgDYkyGI[saga]:2012/08/19(日) 02:27:03.60 ID:+rsVUWK9o

ぼくの眼球が定点観測カメラと同じく一点に固定されたまま二千倍速で信号を脳に入力している。

動く物体の残像が重なり合って流体のような形状を取っているそんな光景の中で

唯一静かに佇んでいるのは、数ヶ月前に献げられた香花《こうばな》の勿忘草《わすれなぐさ》が

誰も水を替えなかったために腐ってゴミ箱に捨てられ、代わりに虚《うつろ》が生けられている

彼女の机の上の花瓶だけ。



ぼくが突然がたっと音を立てて席を立つ頃には既に空から転落した太陽が大地にぶつかっていて、

ぐしゃりと潰れた衝撃で飛散したその橙色の体液《ペンキ》が教室を完璧に染め上げている。



誰もいなくなった教室は、耳に障る程の静寂で喧々囂々《けんけんごうごう》としている。

ぼくの靴底が床を叩く乾いた音以外に響くのは、ぼくの内耳が環境音を掴み取ろうとして

失敗する無為な音だけ。



ぼくはゆっくりとした足取りで歩き彼女の席に辿りつくと、窓へと続く径《こみち》を作るために、

手と腕に力をこめて他人の机と椅子をどかしだす。

26 :『コペイン』 ◆k6VgDYkyGI[saga]:2012/08/19(日) 02:28:36.08 ID:+rsVUWK9o

全ての障害物を排除する頃には肩で息をしているが、ぼくはそれでもすぐに彼女の席に戻り、

椅子の背もたれを支える鉄筒を両手でがっしりと握り締めがちゃがちゃと

鉄製の蔦《つた》のように絡み付く机から引き剥がすと頭の上に高く掲げながら、

ふらふら覚束ない足取りで大窓に近づいてゆく。



遂に窓に対面したぼくは少し姿勢を整えてから、持った椅子をそのまま思いきり前方に投げつける。

窓の下腹部からガラスが外に噴き出でて飛散し、大小に割れた透明な破片達が陽光を弾いてきらきらと

舞う中で、彼女の椅子がゆっくりと宙を踊りながら落下してゆく。



椅子は自分の所へと彼女の花瓶と机を引き入れ、

三つの形骸は皆同じように鈍いオレンジ色をした奈落へと吸いこまれ消えてゆく。



ぼくは彼女の席だった場所の前に立ち、ブレザーの胸のポケットから軸椎を取り出すと、

それを掴んだ手を前に突きだし、ゆっくりと拳の力を抜く。それはぼくの手から滑り落ち、

ちゃぽんという音を立て床に呑み込まれる。

水玉を一粒跳ね上げ床に広がる波紋が、C2が彼女の手に渡ったことを無言で告げる。

27 :『コペイン』 ◆k6VgDYkyGI[saga]:2012/08/19(日) 02:30:06.23 ID:+rsVUWK9o

ぼくは一瞬だけ木目が縦横に走る教室の床の下の、そのずっと下にある無限の暗黒と虚無に思いを

馳せる。誰もその生に関心を持たず誰もその死を関心を持たない、

汚物で汚れたワンピースを着込んだ少女が体育座りをしているそのすぐ横に、

世間の耳目を一身に集める死体の軸椎が置かれている。



彼女は俯いており長髪が前に垂れ下がって表情を完全に隠している。

彼女のワンピース、

「この日」のために購入した、たった一着しか無い女の子らしい薄い青色のワンピースの

そのスカートの部分が糞尿や腸液で濡れているのは、脳幹の機能が消失してから十八時間以上が

経過し死後硬直が解けて括約筋を含む筋肉の弛緩が始まっているからだ。



彼女の部屋に女性が着るような服は一着も無い。

ぼくが彼女を家を訪れ弔意を示しても万事無事といった顔をした彼女の母親、

同級生というだけで見ず知らずの人間を死んだ我が子の部屋に簡単に入れた程の無関心、

カーテンの閉まった彼女の部屋に放置された絨毯に広がる乾いた体液、

机とベッドだけの部屋には小物のひとつさえ置かれていた気配は無い。



和箪笥に仕舞われた下着や肌着は地味な物ばかりで数も少なく、普段着に至ってはズボンが一本、

パーカー二着、それに一色もののTシャツが五枚で、

四段ある抽斗の内のひとつにまとめて詰められている。

28 :『コペイン』 ◆k6VgDYkyGI[saga]:2012/08/19(日) 02:31:24.57 ID:+rsVUWK9o

だから彼女は絶対に選んだ筈だ。生きている内に許されなかった女性を表象する服を着ることを、

そして、それを以て彼女の親への、同級生への、この世界への反意を、

タオルで気道を半ば塞ぎながら叫ぶことを。



無間《むげん》の闇にある彼女は体育座りをしたまま何も言わずそっとC2を手に取り、

その骨に暴力で刻まれた物理的な痛みと絶望を理解し、黒紅色の孤独という苦痛から解放される。

内閣府の自殺資料に書かれる平成24年度自殺者数に、「1」という、それだけ変動したところで

誰ひとり気にも留めない値を足して。



だからぼくは、人の死が平等だと嘯《うそぶ》く狐の脚を叩き潰そう。

人の生が等価だと囀《さえず》る鳩の風切り羽を全て抜こう。

そして、そうした拷問の果てに、幾つでも良い、頸椎を彼/彼女らの首から引き摺りだす。

名も無い死者のために、幸福な人間の脊髄を丸ごと献げよう。



ぼくがこれからそうするように。

29 :『コペイン』 ◆k6VgDYkyGI[saga]:2012/08/19(日) 02:32:00.60 ID:+rsVUWK9o

 -Ⅴ-





今夜も蝋色の景色は既視感をそのまま描いた黒地のカンバス、古びた映写機のスプロケットに回され

映写幕に投影されるただひとつの傷だらけのフィルムで、ぼくの両目は暗闇の中、河の周囲に密生した

名も無い雑草の群れの隙間から、視線をひっそり忍ばせて夜中の遊歩道を帰宅の途に就いている

ひとりの少女に送る。



清楚に着こなされた紺のセーラー服、襟には三本真っ白いジャバララインが走り、

容姿に一層の落ち着きを与える真紅のスカーフが巻かれているその上で、

奇麗に櫛を通した濡れ羽色のショートボブをさらさらとなびかせる可愛らしい顔が

真っ直ぐ前を向いている。



人に最も強い印象を与えるのはその双眸で、彼女の中の希望と意志を燃料に輝いており、

調和を取るように小さく慎ましい鼻の下に、濡れた桜色をした薄い唇がすうっと流れている。



身長145センチメートル。

体重36キログラム。

30 :『コペイン』 ◆k6VgDYkyGI[saga]:2012/08/19(日) 02:32:33.55 ID:+rsVUWK9o

電灯から立ちこむ薄霧のような仄かな明りの中、彼女は背筋をぴんと張ったまま、

頼りなげな蛍光を切り裂いて歩みを進めている。一度も止まったことの無いすらりとした二本の脚、

今まで躓いたことの無いしっかりとした二本の足は活力に満ちていて、

一歩毎に生の充満した匂いを発散している。



1996年6月28日生まれ。

16歳。

蟹座。

AB型。



泥まみれの薄汚いぼくは、明らかに異様な歩き方で右へ左へよろよろ酔歩しながら、

彼女の視界に入り込む。



河辺の雑草をがさがさ鳴らして遊歩道への小坂まで来ると四つん這いでそこを這い上がり、

すり潰した青臭い草の汁と草の残骸を腹や膝にべったり付けた姿で、

もうすぐ終わる自分の人生のうち最大の不幸として眼前に現れたぼくのことを、彼女は知らない。

31『コペイン』 ◆k6VgDYkyGI[saga]:2012/08/19(日) 02:33:48.31 ID:+rsVUWK9o

あなた、どうしたの。



坂を転げ落ちたんだ。



大丈夫?



勢いよく転げ落ちたから。



転げ落ちた?



ああ。



平気? 歩ける?



少し痛いけど。



本当に?



馴れてるから。



馴れてる?



痛いことには馴れてるんだ。



それはどういうこと。



そのままの意味だよ。



よく分からないけど。よかったら。



よかったら?



家まで送ろうか?



え?



ふらふらしてるから。



ああ……。

32 :『コペイン』 ◆k6VgDYkyGI[saga]:2012/08/19(日) 02:34:16.17 ID:+rsVUWK9o

私と同じ高校でしょ、その制服。



そうなの?



同じだよ。



でも。



何?



危ないよ。



何が?



ぼくは変質者だったら?



変な冗談を言うんだね。そんな訳ないよ。私には分かるもの。



そう……。



家はどこ?



家?



肩を貸すから。



独りで帰れるよ。



困ってる人がいたら助けないと、と彼女は最後に笑顔で言う。

彼女は骨の髄から理解していない(がこれから理解する)。

そうした善意こそが、ある種の人々を絶望と孤独に追い込んでいることを。あまりにも明るい太陽が、

地を乾かし干魃《かんばつ》を引き起こすように。況《いわ》んや、潤いの消えた大地が

その顔にヒビを刻まれる時の激痛など知る由も無い。



この社会の主人公はぼくの肩をかつぎ、ほんの一瞬顔をしかめた後で、

身体を沈めてぼくが身体を預け易い姿勢を取る。ぼくは彼女の方に倒れ込む。

自重を半分彼女に渡していたため、ぼくと彼女の身体は触れ合い、五感から副交感神経を経由して

女性を認識したぼくの勃起中枢系は反射的にぼくの陰茎を勃起させる。

33 :『コペイン』 ◆k6VgDYkyGI[saga]:2012/08/19(日) 02:35:03.67 ID:+rsVUWK9o

 -Ⅵ-





ぼくは無言で皐月躑躅《さつきつつじ》の盆栽をする。



皐月の品種のひとつである千裕《ちひろ》の花径は七・五センチの中輪、標準的な一重咲きで、

そのトランペット状に広がる楕円形の五枚の花弁は乳白色を基調に紅紫《べにむらさき》の線が

細く縦に走り、中心部の蘂《しべ》から一筋の紅涙を流すだけでなく、人の内側から奔流する

飛沫の一滴を抱き留めて花弁全体がすっかり紅《くれない》染まった花冠も少なくない。



花々を下から飾るのは平たくて細長い、先の尖った披針形《ひしんけい》の並葉達で、

それらを細くしなやかに伸びた四本の役枝が力強く支えている。樹形は天へ真っ直ぐ伸びた直幹。



千裕の枝は硬く剪定鋏を用いても中々切断が容易ではない。

ぼくは額に汗の粒を浮かせながら枝を柔らかくするために鉄槌で枝を何度も叩く。その度に、

あたかも千裕が意思を有しているかのように拒否の合図を送ってくる。しかしそれでも芯を

柔らかくし切り落とし易くするために腕を高く上げ、ごつりごつり振り下ろすということを

続けていると、遂に枝はぐしゃぐしゃに潰れ外皮、維管束と基本組織が綯《な》い交《ま》ぜになった

屑肉《くずにく》になる。



ようやく充分に柔らかくなった最も先端にある小さな枝を胴切りすると、どっと樹液が流れ出す。

切り落とした傷口がヤケを起こさないようライターで炭化するまで炙っている最中、

つんざくような音が鼓膜を震わせ続ける。美しい樹形からは想像も出来ないような、

何語でもないが何語でも意味が分かる声が見目麗しい皐月躑躅《さつきつつじ》から発せられ、

見事な対照性を描く。



まだ一本目を少し処理しただけにもかかわらずぼくはすっかり疲れている。

一段落しようと整枝のための長目の針金を、太い枝全体に食い込むくらい強く巻き付けてから、

今度はそれを携帯用ガスコンロに巻き付ける。コンロの火にしっかり当たるような格好に針金を

変形させ、そして千裕がきっちりと鉢に固定されていることを確かめたぼくはツマミを回す。

かちかちかちかちかちかちかち、ぼっ。

34 :『コペイン』 ◆k6VgDYkyGI[saga]:2012/08/19(日) 02:36:07.22 ID:+rsVUWK9o

針金が熱で微かに変色するのを確認するとぼくは台所に向かう。金属製の水切りバスケットから

コップを取り上げ、水道の蛇口を捻りコップに生温い水を注いで、それを持ち上げて喉に注ぐと

ぼくの食道が蠕動《ぜんどう》する。



そのままコップを流しに放り投げて、ぼくは冷蔵庫へ向かう。

扉を右手に開け、殆ど中身の無い庫内から辛うじて残存していた韮《にら》とベーコンを取り出すと、

それら食材を台所の上に置きっぱなしにしてあった俎板《まないた》の上に並べてから、

今朝使った包丁を軽く水洗いし、まず韮を適当な大きさに刻んだその後でベーコンに包丁を入れる。



キッチンのガスコンロに火を入れフライパンを乗せる。

フライパンが熱を持つまでの間にトースターに食パンを二切、そして予め皿の準備をする頃には、

熱された針金はとっくに赤熱化している。



肉が焼ける声がする。

じゅうじゅう音を立て生きているように踊る肉の塊から、焦げた臭いと煙がぷすぷすと立ち篭めだす。

ぼくは二つの丸い卵を食材に加えようとグレープフルーツスプーンで殻から抉《えぐ》り出す。

二個とも取り出したものの、ぼくは一個は元の場所に戻し、もう一個はぼくの分としてフライパンに落とす。



ねっとり糸を引いた卵が鉄の板に触れる瞬間、絶叫はさらにトーンを上げ卵は変色し変質してゆく。



ぼくは、塩と胡椒を軽く振ってから今度は菜箸を使って韮とベーコンとを掻き混ぜ、

ほくほくと湯気を立てる目玉焼きが出来上がる。

35 :『コペイン』 ◆k6VgDYkyGI[saga]:2012/08/19(日) 02:37:12.21 ID:+rsVUWK9o

ぼくはトーストに目玉焼きを挟むと、キッチンで立ったまま思うがままにむしゃぶりついて

口内を旨味でいっぱいにしたところで、まだ熱の引かないフライパンを手に取って、

千裕の元へ行き樹幹部に歩きながらそれを高く振り上げて思いきり振り下ろす。



ぎゅっという、何かが潰れる音がして不協和音が止み静寂が訪れたのと、

ぼくが料理を嚥下するタイミングがぴたり重なる。



ぼくはもうもうと立ち篭める白煙を排出するために換気扇を回してから、

シンクに投げ捨てたコップを取り出すともう一度喉に水を流し込んで食道の残滓を洗い流し、

床にコップを叩き付ける。音も無く散らばった硝子の欠片から最も大きい物を掴み、

ぼくはYシャツを脱いでから再び千裕の元に向かう。



携帯用ガスコンロの火を止め、ぼくは針金の巻き付ていない方の役枝の、樹幹に最も近い部分に

Yシャツを巻き付け強く縛り、少し待ってから、硝子片を枝元に突き立てそのまま枝先に向かって

樹皮を一気に切り裂くと、叫喚を喉奧から吐き上げるかのように千裕全体がざわざわと揺れる。



樹液が樹皮からどろどろと這い出し、鼻水と涙と汗、凡そその体から排出可能な全てを自ら

絞り尽くさんとするが如く、皐月は泣き、吐き、漏らし、垂らし、流す。

生き物の本質の姿のひとつを目の当たりにしてぼくは嘯風弄月《かぜにうそぶきつきをもてあそぶ》。

36 :『コペイン』 ◆k6VgDYkyGI[saga]:2012/08/19(日) 02:37:51.40 ID:+rsVUWK9o

  -Ⅶ-





ほんの小さな街灯だけが漆黒に抗う空間で、彼女はぼくに肩を貸して歩いていた。



ぼくの鼻腔を蕩《とろ》けさせる彼女の甘い匂いをなるべく嗅がないように口で呼吸しても、

ぼくの皮膚組織を貫通する彼女のぬくもりや柔らかさがぼくの脳機能の一部を強烈に麻痺させた。

輪状甲状筋や甲状披裂筋などの発生筋も影響を受け、それらは一時、著しく鈍麻してぼくの声は

くぐもった音になった。



症状は十数分で軽快したが、それでもぼくは視線を下に落としたままたどたどしく彼女に話しかけた。



何?



人生で一番辛かったことって何?



え? 彼女は唐突な問に戸惑いの表情を見せた。



知りたくて。答えたくなかったらいいんだ。



ぼく達はそのまま、無言で少し歩いた。



昔、大好きだった友だちと喧嘩したことかな。



喧嘩。ぼくが鸚鵡《おうむ》返しで言った。



他愛もない子どもの喧嘩。でも、言い争った後、とっても後悔したの。どうしてあんなこと、言っちゃったんだろ、私は酷い子だ、って。



それから?



すぐにその子とは仲直りしたよ。



そう。他には。



ないよ。君はあるの?



え?



あ、ごめん。聞いちゃ駄目だよね、こんなこと。



ぼく達はそのまま、無言で少し歩いた。

37 :『コペイン』 ◆k6VgDYkyGI[saga]:2012/08/19(日) 02:39:15.16 ID:+rsVUWK9o

ぼくはないよ。



え?



この世界に辛いことなんてない。



……。



この世界は幸せだ。辛いことがもし在ったとしても、

「辛」という字に一本の線を足す程度じゃないかな。



そう、そうかもね……。彼女が深刻な顔をしていた。



ぼく達はそのまま、無言で少し歩いた。



でも、君もきっとさ……、これから良いことがあるよ。何かを察した彼女が言った。

君が今まで、ずっと辛い思いをして来た分。そのことにだって、意味がある筈だし。



意味……。意味。意味があった例《ためし》があったかどうか、ぼくが記憶の糸を手繰った。



「明けない夜は無い」って先生が言ってた。それに……。



それに?



それに、話してくれれば、きっと君の辛さを分かってくれる人、いると思う。トラウマや辛い経験は、

人に話すのが一番の癒しだから。信頼できる人に話すべきだよ。

彼女が精一杯の激励をした。



ぼく達を頼りなく照らしていた棒状の電灯が、その時消えた。

元々じじじと音を立てながら赤色化し、最期を迎えてもすぐに付け替えられる古びた明りは、

あっけなくどす黒い闇に呑み込まれた。

彼女とぼくも墨汁を頭から掛けられたように真っ黒に染まるが、ぼくの皮膚はそれを体内に

浸透させた。やがて黒液の一滴がぼくの芯の部分に落ちた時、ぼくの口から墨汁がどぼどぼ流れ出た。



ほら、あれ。



何?



暗い所からだと、明るい所がよく見える。



そうだね。



明るい所からだと、暗い所は見えない。



うん……。



それから、暗い所からだと、暗い所が少し見える。



何を言ってるの?



これから君の身に起こることだよ。

38 :『コペイン』 ◆k6VgDYkyGI[saga]:2012/08/19(日) 02:39:59.70 ID:+rsVUWK9o





ぼくは三日間かけて六個の頸椎を取り出す。

三十一の脊髄節全てを奇麗に取り出そうとそうと汗だくになりながら奮闘したにもかかわらず、

骨というの有機体の、その思いがけない硬度に意思を切断されたぼくは、

ねっとりと糸を引く六節の新鮮な頸椎を手に取って、下からに口を半開きにしたままじっと眺める。



彼女はかつて自分に属していた柔らかい素材をベッドにして横臥しており、

剥き出しになった胸部にぴったりと顔面全体をくっつけてすやすやと眠っている。



クーラーを冷房の最低温度に設定してあるこの部屋ではきっと寒いだろうと思い、

ぼくの部屋にある掛け布団をそっと彼女にかけると、彼女はくすぐったそうにもぞもぞと動く。



わざわざありがとう、温かい。



どういたしまして。

ぼく達は礼を失しないよう、別れの言葉を告げる。



私を持ってどこへ行くの。



このナイフが届く所まで。

39 :『コペイン』 ◆k6VgDYkyGI[saga]:2012/08/19(日) 02:41:32.66 ID:+rsVUWK9o

 -Ⅷ-





午後十二時きっかり、表皮をじりじり焼く真昼の熱気の中、ぼくは大きな鉄塊が猛スピードで肉塊を

求め流れる、片道二車線の挽肉製造レーンの隣をふらふらと歩いている。



三日間、不眠不休で作業をしていたぼくはアスファルトが作り出す蜃気楼の向こうからやって来る

一台の黄色いタクシーを認め、のろりと手を上げる。すぐに黄色いタクシーはキュッという

アスファルトに削られる音を出して路肩にいるぼくのすぐ横で止まり、音も無くそのドアを開ける。



すみません、助手席に乗らせてもらえませんか。

ぼくは薄暗い車内に首だけを突っ込んで言う。



怪訝な顔をするタクシードライバー。

ぼく、昔、後部座席で遊んでいたらドアが開いて外に放り出されたことがあるんです。それ以来、

車の後ろの席に乗るのが怖くて。



それだけ言うと、言葉をそこに残してぼくは助手席へと回りこむ。助手席のドアが開き、

ぼくはよく冷房の利いた棺桶に乗り込む。



何処まで行くの?

タクシードライバーが扉を閉める。



駅前の繁華街まで。

ぼくがシートベルトを締める。



それだけ文言を交すと、排気音を上げて車が走りだす。そして、一定の速度が出た所でぼくが

ポケットから折りたたみ式のナイフを取り出して刃を出そうとカチャカチャやっていると、

音に反応したタクシードライバーが横目でぼくをちらちら見ながら、

それでも何も言わず運転を続けている。

刃が剥き出しになる。

40 :『コペイン』 ◆k6VgDYkyGI[saga]:2012/08/19(日) 02:42:29.56 ID:+rsVUWK9o

ぼくはおもむろにナイフをタクシードライバーの頸動脈に当てる。

ぼくの言うことと違ったことをしたら、このナイフを首に突っ込んで頸動脈をずたずたに切り裂く。

分かったか?



彼の顔つきが変わる。ただの餓鬼の見え透いたハッタリに屈してたまるかと言う表情、ついで、

むしろこの子どもの間違いを俺が正してやろうという目差し《まなざし》をしたヒーローは

毅然と前を向き、こんなことをして良いと思ってるのか、と言い放って、

車のスピードを緩め路肩へ向かう。



ぼくはタクシードライバーの首からそっとパフを離すと、

それを頬に差し込んで彼に血色の頬紅を付ける。



車がさらに速度を下げて飲酒運転さながらに蛇行運転を始めたので、

ぼくはタクシードライバーの首回りを、オリーブの首飾りを付けるしているようにナイフで撫で、

車を止めるなと囁《ささや》く。

しかし、その言葉は彼の意味不明な言葉の嘔吐にかき消される。



死にたいのか。

ぼくは一音一音はっきりと発音して、彼の首にある鍵穴に鍵を差し込む。



急に車のスピードがぐんと上がりぼくと彼の身体は重力で後ろに引っ張られ、

車体が大きくふらつきながら車線へと戻ってゆく。何処かでけたたましく鳴るクラクションの音。

41 :『コペイン』 ◆k6VgDYkyGI[saga]:2012/08/19(日) 02:43:02.40 ID:+rsVUWK9o

やはりナイフを突き付けながらぼくは言う。



お前はひとつ、大切なことを間違えてる。これは「良い」とか「悪い」とか、

そういう単純な善悪の問題じゃない。



ヒトの良心に訴えかけもしないし、悪事を唆《そそのか》す主張でもない。

ぼくがしていることは問いかけだ。

人間はお互いに分かり合えるのかという問だ。



ぼく達はお互いを“分かった気でいる”だけではないのか、

他人の痛みなど知る由も無いのではないか、だとしたらぼく達の生は孤独そのものだ。

そうだろう?



しかし、もしもぼく達がお互いを理解できるのなら、そんな方法を手に出来るとしたら、

ぼく達は独りではなく群体になることが出来る。



この人、聞こえてないわ、と彼女が言う。



前を向いたまますっかり硬直し、助けを媚びる言葉を連続させる彼の顔はどんどんと青ざめてゆく。

横にいる高校生が本物の気狂いだと悟った彼の牛鼻がぴくぴく動き、己の不運を呟《つぶやく》く。



ぼくの言うことは分かったか。



はい、分か、ました。



じゃあ、ぼくの言うことを聞くな?



はい。



聞かないとどうなると思う。



言、言うことの、を、間違えると、く、首を刺されます。



嫌か。



あ、い嫌です。



だったら、何をすれば良い。



聞きます。



何を。

ぼくは玄関の鍵を閉める時と同じようにナイフを少し回す。



言うことを聞きます、という旨の肯定が彼の上げる大きな感嘆詞と混ざる。



良かった。ぼくも嬉しい。おじさんも嬉しいだろ?



はい。



じゃあ、あの次の赤信号を無視して直進しろ。

42 :『コペイン』 ◆k6VgDYkyGI[saga]:2012/08/19(日) 02:43:49.11 ID:+rsVUWK9o

一瞬反応を遅らせて、タクシードライバーは両眼を見開き脂汗を浮かばせ、生唾を飲み込んだ喉仏が

上下にゆっくり動き、生温い息を荒げて過呼吸になる。すると、内耳にピアス穴を空けるために

ナイフが耳の中に侵入しようとするので、彼は歌いながらハンドルに顔面を付けて身体を丸め、

小刻みに震えてくぐもった声でハミングする。



大量の車達が怒濤となって猛スピードで行き交う交差点へと、ぼく達は真っ直ぐに飛び込んでゆく。

あと十数秒経つと無生物と生物が奇麗に混ざり合った混合物が出来上がる。



止まれ。



タクシードライバーがぼくの声にびくりと反応し、くしゃくしゃになった顔で縋《すが》るように

ぼくを見る。



ブレーキをかけろ。



はい。



その黄色いタクシーは泣きながら鼻水を垂れ流しアンモニアの臭いを充満させて急停止する。

今度は前に引っ張られる人間の身体をシートベルトが引き止める。

43『コペイン』 ◆k6VgDYkyGI[saga]:2012/08/19(日) 02:44:33.98 ID:+rsVUWK9o

車が完全に停まった所でぼくは言う。

どうして助かったと思う。



放心しているドライバーの顎のすぐ下に刃先を当てぼくは同じ質問を繰り返す。

お前はどうして助かった。



彼の肌は素人目にも分かる程血の気が引いており顔全体が上下左右に高速でかたかた振れ、

口から漏れる音声も震えきっていて、声も声になっていないものの、

辛うじて言わんとする意味は拾うことが出来る。



“ブレーキを踏んだから。”彼はそう言いたい。



ブレーキを踏ませたのは誰だ。



“あなたです。”



つまり、ぼくはお前を助けただろう。



“助けました。”



お前が生きているのは誰のお陰だ。



“あなたです。”



嬉しいか。



“嬉しいです。”



ぼくも嬉しい。お前は二人の人間の命を救った。お前は優秀なドライバーだ。



“はい。”



優秀なドライバーなら、ぼくの言うことを聞いてくれる。



“聞きます。”



何でも。



“何でも聞きます。”

44 :『コペイン』 ◆k6VgDYkyGI[saga]:2012/08/19(日) 02:45:08.90 ID:+rsVUWK9o

 -Ⅸ-





がたがたと何かが揺れる音を聴覚が捉え、ぼくの左目が薄く開く。しかし、左網膜に投写され

脳の各葉が作成した映像はぼんやりとした形しか得ない。象牙色をした低い天井の画《え》、

しかもその左側はばっさりと黒味になっている。



自身の五感が機能停止していたことに気付く頃、ぼくの頭は己の身体が移動する狭い空間に

閉じ込められていると理解する。だがその刹那、ぼくの全神経繊維をその手に掴んで

引き摺りだそうとする大きな震動のせいで脳裡は白雪色一色になり、

ぼくは身を捩《よじ》ろうとするがまるで動かない。



それでも尚身悶えせんとする躰の動きが知らしめるのは、

ぼくの右半身のほぼ全部位が動かなくなっていることだけ。



意……取………た。聞こ……か、………てる…ら手……ってく…。



視界に白い被り物をした浅黒い顔が一瞬映り込んだ所で、ぼくの脳のブレーカーが再び落ちる。

45 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします(関西・北陸)[sage]:2012/08/19(日) 02:46:27.06 ID:38W5O2YAO

タイトルのテンションはなんだったのか

46 :『コペイン』 ◆k6VgDYkyGI[saga]:2012/08/19(日) 02:46:27.37 ID:+rsVUWK9o





ぼくがタクシーの窓から前方を見遣ると、人、人、人でごった返す繁華街の歩行者天国が

近づいてきている。明るい太陽の日差しの中、彩り鮮やかに歓談する色彩豊かな歩行者の群は

『ムーラン・ド・ギャレット』を人に想起させる。



真っ白いTシャツに小さなジーンズを穿き両親のの手にぶら下がっている五歳くらいの男の子、

中折れ帽を被り茶色のスーツにロープ・タイを締めた老人、

その老人にエスコートされている数十年付き添った妻である老婆、

ビジネス鞄をしっかり握り締めながら焦燥に駆られ走るクールビズのサラリーマン、

何をする訳でもなくふらふら歩いているだけの坊主頭の大学生は藍色のジャージ姿、

薄いピンクのYシャツに灰色のプリーツスカートを穿いた姦《かしま》しい女子高生集団の後ろで、

やたら大きいリュックサックを背負った長身痩躯の若い白人が、

「自分は英語を話せません」とジェスチャーする地味な眼鏡の三十路女性に道を尋ねており、

その横をゴシックロリータの派手な衣装を纏った太い十代後半の女性がのっそり通り過ぎ、

必要以上に騒ぐ十四歳くらいの男児達が四人やんちゃに走り回っているすぐ側を、

覚束ない足取りで駆けてゆく三歳くらいの女の子がいるが、

彼女がとてんと転ぶや否や、両親が走って追いついて来るまで四人の男児達は烈火の如く泣く彼女を

宥《なだ》ようと右往左往おろおろし、

かと思えば反対側の道端では、椿をあしらった浴衣を着た二十代半ばの女性が、

黄色いTシャツを着た軽薄そうな恋人に怒声を浴びせかけていて、

その奧をがっしりとした体つきの中年男性と、

ひょろひょろした青白い顔の文学青年が手を繋いで笑いながら通ってゆく。

数え切れない人々、老若男女の喜怒哀楽が、眩しい光を受けてきらきらと道路を流れてゆく。



ぼくは充分に速度が出た所でタクシードライバーの首にあるホースを切ると、

彼は熱で乾いた彼の庭たる車内に散水を始める。

手で首を押さえようとしてぶつかったレバーが車のワイパーを動かす。

ぼくが彼のシートベルトのボタンを押しベルトを外す一方で、彼は勢いよく芝生に水を遣りながら

アクセルを踏んだまま状態でハンドルに突っ伏す。

ワイパーが左右に動きながらクラクションが鳴る。

47 :『コペイン』 ◆k6VgDYkyGI[saga]:2012/08/19(日) 02:48:26.38 ID:+rsVUWK9o

ぐいぐいとスピードを上げる車。ぼくは運転席に身を乗り出してタクシードライバーを押し退けると

ハンドルを両手で奪い取り車体をコントロールする。



重いハンドルを握り締め、ぼくは影に向かう。

繁華街の大通りで人生の喜びを全身で謳歌する人々の、その一人ひとりの足元に這う

鈍色《にびいろ》の影を全て深緋《こひき》に染め上げるために、

ぼくが車両防護柵へとひた走ろうとしたその時、

タクシードライバーが首のぱっくり裂けた部分から声を出す。



君は世界の主人公ではないし、君の世界ですら、君は端役に過ぎない。

それは血をこぽこぽと溢れ出させ、血の泡を作りながら語る。



それが全ての前提だった。誰にも知られず死んでゆく名も無い少年、

その死すら気に留められない忘れられた少年。君はそういう人間だ。



「声」は尚も続ける。



それが意味する所は、君がこれから事故を起こす、ということだ。タクシーの運転手を殺害し

歩行者天国で大量殺傷を企てた君は、右から突っ込んでくる大型車に気付かない。



衝突の衝撃で、君の全身の骨は閉鎖・重複骨折し、その破片が体幹を深く傷つけて至る所で

内出血を起こす。即死ではないが、右半身は見るも無惨な姿だ。



君は死ぬ。



そして、誰も君の企てには気付かない。運転手も車も原形を留めていない程に破壊されてしまったし、

君の家にある二つの残り滓は、真っ先に疑われ逮捕されると焦った君の前科者の父親が

何処かへ持ち去ってしまった。

48『コペイン』 ◆k6VgDYkyGI[saga]:2012/08/19(日) 02:50:12.60 ID:+rsVUWK9o

君は君のナイフが届く所まで彼女を連れて行くと言った。



しかし、君のナイフが届く距離はせいぜい彼女の身体の中までだった。



君はその程度の人間なのだ。

君が歩行者天国にまでナイフを食い込ませていたら、君は世界の「悪い主人公」になっていただろう。



だが、君自身の世界ですらエキストラでしかない君が、この世界の主人公に成ることはない。

君は普遍的永続的に世界に見放され孤独であり続ける。

君はそれを知っていた。

知っていたからこそ、両腕にバーコードを記した彼女に、わざわざC2を手向けたのだろう。

厚労省の人口動態統計の交通事故死者数に「1」という値を加えること、それが君の人生の結果だ。



そんな顔をするな。



世界の路肩で死んでゆくとしても、君には成し得えたことがあった。

苦痛を真の意味で共有した。

自分の痛みを自分が感じるように他人に感じさせ、

他人の痛みを他人が感じるように自分に感じさせることが出来た。



もちろん、調和の取れたやり方ではなかった。

しかし、重要なのは、私/俺/僕/我々――人間が記号《コード》を越えて孤独という障壁を

突き破り得る可能性を君『も』示したということだ。

この三日で生まれた、新たな四人の痛覚共有者、Co-Pain《コペイン》と共に。



君と同じく彼らもまた、今まさに脊椎を略奪せんと手を朱《しゅ》にしている。

49 :『コペイン』 ◆k6VgDYkyGI[saga]:2012/08/19(日) 02:51:34.51 ID:+rsVUWK9o

最後にこれを君にあげよう。

彼女の環椎、C1だ。

他の五椎は私/俺/僕/我々が責任を持って然るべき人々に与える。

今まさにこの瞬間、深く暗い絶望の底にいる、まだ見ぬ無数のCo-Pain達に。



さようなら、多く痛みを受け、それ以上に多くの痛みを与えた、痛みを知る者。

血塗られた感覚の主《あるじ》、

忘却の彼岸にある水蛭子、

私/俺/僕/我々よ。



さようなら。







ぼくの身体が、物凄い勢いで左に吹き飛ぶ。





――了――

50 : ◆k6VgDYkyGI[saga]:2012/08/19(日) 02:52:22.16 ID:+rsVUWK9o

ご読了ありがとうございました。

製作裏話を知りたい方は、ツイッターで#コペインSSで検索すると出てくると思います。

51 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします(神奈川県)[sage]:2012/08/19(日) 04:32:55.75 ID:E0ZtYdSPo



とりあえず



スレタイのノリが軽すぎると思います






56VIPにかわりましてNIPPERがお送りします(長崎県)[sage]:2012/08/19(日) 17:53:19.93 ID:T2veh503o

スレタイに引かれて見てみれば……

なんだこれ

57VIPにかわりましてNIPPERがお送りします[sage]:2012/08/20(月) 03:49:22.79 ID:b1tMhSKoo

スレタイと内容のこの違い

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